テラテックなひとびと

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2012.09.22 Saturday

津波文学紹介3、遺体安置所での実態を日本人は忘れてはいけない 「遺体〜震災、津波の果てに」(石井光太)

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     120922_1309~01001.jpg

    津波の直接の描画から少し外れます。

    釜石市の遺体安置所に携わった人々の姿を描くルポルタージュです。

    かつての葬儀社勤めの経験を行かして安置所の責任者となった民政委員の方をはじめ、検案や検歯を行った医者や歯科医、遺体運搬に従事した市役所職員(普段はスポーツ部署)、消防団員、葬儀社社員、住職、そして市長など、多くの方の目線で描いています。

    そこで描かれる遺体、遺族、そして町の姿は、正直なところ、目を覆いたくなります。
    言うまでもなくこの状況は、釜石だけでなく、どこの町でも、もっと言えば、ずっと後になって私も掃除に携わった小学校でも、実際にあった話でしょう。そう思うと、改めて、慄然とします。

    著者自身の後書きから、少し引用します。

    (引用はじめ)
     私ははたして日本人はこれから先どうやってこれだけの人々が惨死して横たわった事実を受け入れていくのだろうと考えるようになった。震災後間もなく、メディアは示し合わせたように一斉に「復興」の狼煙を上げ始めた。だが、現地にいる身としては、被災地にいる人々がこの数え切れない死を認め、血肉化する覚悟を決めない限りはそれはありえないと思っていた。復興とは家屋や道路や防波堤を修復してすむ話ではない。人間がそこで起きた悲劇を受け入れ、それを一生涯十字架のように背負って生きていく決意を固めてはじめてすすむものなのだ。
     そのことを強く感じたとき、(中略)あの日以来最も悲惨な光景が繰り広げられた遺体安置所で展開する光景を記録しようと心に決めた。そこに集まった人々を追うことで、彼らがどうやってこれほど死屍が無惨に散乱する光景を受容し、大震災の傷跡から立ち直って生きていくのか追ってみようとしたのだ。
    (引用終わり)


    このことは、忘れません。何となく日々が流れていますが、改めて、そう思いました。


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